報知新聞釣り欄「魚心」から:昭和54年10月21日 釣りと健康
ひさしぶりに福村磯へチヌ釣りに行った。今年はチヌの豊年だ。幸い、私の好きな「栄作の胴裏」へ上がることが出来た。ここはかって、妻が33尾ものチヌを釣ったポイント。そして、奇しくも2年後、私も33尾釣ってタイ記録を出すことが出来た(?)曰くつきのポイントだ。
ところが、どういう風の吹き回しか、この日私のサオに来たのはボラやハマチばかりで、チヌはたったの3尾だけ。しかも、同行のHさんは7尾も釣っているというのにー。
帰宅したとき、妻はだれかに電話していた。
「ただ今」と遠慮気味に高い敷居を越えた私の耳に、聞こえよがしの妻の声が突き刺さった。
「あっ、ちょっと待って。今、ヘタクソが帰ったさかい、電話切るワ」
どうやら、妻は今日の私の釣果を先に知っていて、だれか釣友に話していたのだろう。
それにしてもこの言葉はいったい、ナンヤというのだ。これが小さくなって帰ってきた傷心の夫を迎える言葉だろうか。世間では、やれあそこは、旦那より嫁はんがウマイの何のと、面白半分に取り沙汰しているかも知れへんが、あんまりやないかーと、喉まで出かかったのをやっとの思いで抑えたものだ。
知ってか、知らいでか、妻の独り言は続いた。
「私やったら、もっと釣ってるやろのになぁー」
食事をする間、私は寡黙気味で通した。せいいっぱいの当てつけのつもりだったが、テキはそう深刻に考えていないようだ。それどころか、「潮がどうだった?」とか、「どこで仰山釣れた?」とか、盛んに話しかけてさえくる。
ここで、私はフッと妻に哀れみを覚えた。よく考えたら、彼女は、一人前の女らしく、卵巣シュヨウなる病気で手術をしたため、ここ1ケ月あまり釣りに出かけていないのだ。週に1,2度のハイペースで行っていたものが、全く行けないとなるとストレスも溜まるだろう。それを罵詈雑言(ばりぞうごん)で紛らわせているのだろう、と善意に解釈した。
徳島つろう会の最長老である富山哲さんが、額にシワを寄せていつも言う言葉がある。
「釣りに行ける人はほんまに幸せなんや。まず、健康でなかったらアカン。次ぎに、懐具合もようなかったら行けん。最後に、家族の理解も必要や」
フト、こんな言葉を思いだして私は、釣ったのつれないの、と文句を言うのは贅沢だと悟り、次第に妻の話のペースに巻き込まれていった。 (報知APG・高橋 康生)
筆者からひとこと: 25年前は、福村磯で3尾釣ったら、馬鹿にされるほどの「貧果」でした。今なら、「えー。3尾も釣ったの?やっぱり上手な人は違うなあ。」と褒められることでしょう。時代が違えば、価値観はこれほどの差が出来るものなんですよねぇ。