報知新聞釣り欄「魚心」から:昭和54年8月26日 すたれ行くワキ役ー梶子

 梶子ーカジコと読む。昔、徳島のイソ渡し舟には、どの舟にも必ず梶子がいた。今の船のように、前進、後退が自由に出来ず、馬力も強くない舟にとって、梶子の存在は不可欠であった。
 今なら、牟岐港から牟岐大島までは二十分の航程だが、電気チャッカーと称するエンジンの小舟では、一時間以上もかかっていた。釣り客はせいぜい五,六人止まり。いよいよイソへ近づくと、船頭はエンジンを止めて、櫓(ろ)に切り替える。梶子は「サヤハリ」を手にして舳(へ)先に立つ。サヤハリは直径5aほどの竹でできていて、その先端に、手カギが埋め込まれてある。舟がイソに近づいた時、これでイソを押したり、引きつけたりして舟を安定させるのだ。舟はイソに横付けになり、この間に釣り客はイソへ上がる。
 海が静かなうちは問題はないが、波がイソ際で白いキバをむいている時には、櫓を押す船頭と、サヤハリを操る梶子の呼吸はピッタリ合っていなければならない。この場合、命令は主として梶子の方から発せられた。
 「押せ、押せ、押せェー」とか、「控え、控えェー」とか言うのだが、潮騒に消されないように言うにはどうしても大声になる。それに大抵の場合、この二人は親子のコンビだから遠慮がない。まるで喧嘩をしているような錯覚さえ起こすくらいだった。

 舟の馬力が強力になり始めた頃から、梶子はだんだんと姿を消して、今ではむしろ珍しい存在になってしまった。その仕事は、単にイソ上がり下りの時、荷物を中継するくらいのものだからだ。
 しかし、釣り人にとって、若いうちならイザ知らず、足元がフラつき始めたら、梶子の存在がどれだけありがたいことか。私が、釣れても釣れなくても牟岐大島へ通うわけはそこにあった。「あった」というのは、その大島でさえ、最近、梶子は消えてしまいつつあるのだ。
 人がいないのが理由だという。そうかも知れない。給料は不安定(歩合制)だし、仕事は単純だし、朝は早いし、危険を伴うなど、仕事としては、よほど釣りに理解がなければ勤まらないだろう。
 だが、私の知っている範囲では、釣り人と梶子のつながりは船頭以上に深い。イソへ上がり損なって、アワヤ転落と思ったその瞬間、梶子の腕がニューと伸びて助けて貰った話とか、急に海が荒れてきて、舟に乗ることも出来ずイソですくんでいたら、梶子が上がってきて、体はもちろん荷物も全部舟へ運び込んでくれた話だとか、カーボンロッドと新式リールのセットを海中へ落とし込みオタオタしていたら、気のよい梶子がすぐさま飛び込んで拾い上げてくれた話だとか、枚挙にいとまがない。
 釣り人の安全と直接つながりを持つ梶子の自意識を高め、地位向上をはかり、職業として成り立つよう便宜を図り、それを特徴づける船頭がいたら、その舟は必ず釣り客の人気を独占するだろう。
 私は梶子の存在を高く評価し、その存続を望むものだ。(報知APG・高橋 康生)