報知新聞釣り欄「魚心」から:昭和55年4月20日 

魚のオネダン@勘定と感情の差

 

  
「200カイリ」問題以来、魚の値段が急騰した。その後はどどまるところを知らず、まさに”うなぎ登り”jの状態である。わが家では、ここ数十年来、魚を買ったことがないが、スーパーなどで家内が魚の値段を見て、びっくりする度合いが年々ひどくなっている。
 「ハエが一匹20円もしとるウ」とか、「こんなちっちゃいガガネ(ガシラ)が120円もするんじょ」(朝のNHKドラマのおかげで、阿波弁もだいぶ普及し始めた感じ)とか、、、。チヌやグレやイサギに至っては「あほらしいて、お金なんか出してまで食べようとは思わんワ」とくる。
 ちょっと話がそれるが、実はこの”計算”必ずしも正しくはない。自分が釣った場合、ダダ同然で食べられると思っているのは大間違い。大漁の時はともかく、ボウズ同然の貧果出帰ったときは、グレ一尾、イサギ一尾が何千円、何万円についているのを計算に入れていないのだ。こういうのを”勘定”と言わず”勘定”というのだろう。
 とにかく魚が高くなった。私の記憶では、戦中、戦後は一時期、魚の値打ちは上がった。それは今のように、物価として表されるのではなくて、貴重なタンパク源として威力を発揮した。父は、よく釣ってきたグレを気前よく近所や知人にお裾分けしたが、それが米になったり、砂糖になったりして帰ってくるのを見て、子供心にも「魚の値打ち」をひしひしと感じたものだった。
 その後、日本人の食生活が変わった。牛肉や豚肉が普及して、魚肉はうとんぜられた。釣った魚を市価で計算した場合、どう欲目に見ても、エサ代や渡船料をカバー出来ない時代が続いた。昭和30年から40年前半のことだ。
 今から考えると、この時代が釣り人にとっては一番幸せな”黄金時代”だったように思う。
 魚自体もよく釣れた。アマゴでも、4、50尾も釣らなければ大釣りとは言わなかった。グレやイサギは、「トロ箱に何杯」というような釣果勘定をした。市価が、たいしてたかくないこともあって、釣り人は惜しげもなく大判振る舞い。その見返りさえアテにしなかったものだ。
 ところが、オイルショックあたりから魚の価値観が徐々に変わり始めた。「200カイリ」が魚価の急騰に拍車をかけた。それだけでなく、釣り人の気持ちや行動に微妙な変化が起こり始め、職漁者との対立という深刻な問題がクローズアップされるに至った。(この項つづく)
   (報知APG・高橋 康生)