昭和59年5月10日

報知新聞釣り欄:「魚心」より

未然に防げ海難事故:決行・中止は自分の判断で

 残念なことだが、連休に入ったとたん、釣り人の海難事故が相次いだ。
 原因が未だにはっきりしていないから、責任の所在を明らかにすることは出来ないが、少なくともはっきりしているのは「悪天候下の出来事」であることだ。
 釣行の計画を練り、その日の来るのを一日千秋の思いで待つ楽しさはひとしおだ。その日が近づくにつれて、最も気にかかるのは「天気予報」。「落ち日和」などと烙印を押された日には、もういらいらするばかりだ。

 こんな時、最も頼りがいのあるのは船頭の言葉だろう。
 電話をかける。
 「どやろ。明日の天気は?」と言いながら、すでに心は船頭の、「大丈夫や」という答えを期待してしまっている。
 「大丈夫や」と応える船頭はいかにも頼もしく思える反面、「さあ、どうやろか」などと確答をためらう船頭は、かえってふがいなく感じてしまうから不思議なものだ。

 このギャップは、当日になるとさらにひどくなる。「大丈夫や」の答えで釣り場に走り、たとえ当日船が出せないような荒天であったとしても、釣り人はあまりその責を問わない。
 だが、「さあ、どうやろか」の答えで釣行を中止したところ、当日展開が良くなったとしたら、釣り人はその船頭をどれだけ恨むことか。

 ゴーサインとストップサインを出すのは、船頭の性格にもよる。その証拠に、同じ釣り場の船頭でありながら、意見が違うことはしばしばある。
 実際、明日の天気は、船頭にとっても分かりにくいものだ。全面的に責任を転嫁するのは酷というものだろう。
 だから釣行の前夜は、ぜひ自分の目や耳で天気予報を確認し、自分の判断で決行か、中止かを決めたいものだ。
  
 自分の判断が、「中止」と出たら、仮に船頭の答えが「ゴーサイン」出逢っても、きっぱり予約をキャンセルすればよい。たとえ、船頭や仲間から臆病者のようにいわれようと、事故で命を失うよりはいくらましなことか。
 だが、現場では絶対に船頭に出向を強要しないことだ。釣り人の「釣りたい気持ち」と、船頭の「出したい気持ち」殿間に相乗効果が起こるのが最も危険な瞬間なのだ。直前で撤退できる潔さは持ってほしい。
 今回の事故は、その責任の追及よりも、「もって他山の石」とすべきだと思う。
                                       (報知APG:高橋康生)