昭和59年2月9日

報知新聞釣り欄:「魚心」より

兄弟船・夫婦船・親子船

 巷間(こうかん)、「兄弟船」なる演歌が流行っている。最初その歌を聞いたのは、昨年十月、報知チヌ釣り教室が鳴門の堂の浦で開かれたときのことだった。

 歌の内容は、かなり時代がかったものだが、大漁節のように声を張り上げる節回しと、「兄弟船」という題が気に入った。ちょうど、堂の浦に細川兄弟船頭がいたからだ。 
 この二人、あまり饒舌(きょうぜつ)ではないが、私とお付き合い願っているこの十数年というもの、ついぞケンカらしいケンカをしているのを見たことがない。あれこれと口に出して言わなくても、暗黙のうちに了解し合う何かがあるようだ。
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 今年の一月下旬、八丈島へ遠征したが、その時、八丈小島へ渡してもらった500馬力の新造船「みのり丸」は、
兄弟船ならぬ「夫婦船」だった。
 港で岸壁から受け取る荷物を船の中で整理したり、磯へ荷物を手渡したりするのはすべて奥さんがテキパキやっている。
                   
 磯上がりが終わったら、梶を持つトウチャンの横へ並んでたばこに火をつけてやる。釣りが終わって船に乗り込んで来た客には、氷砂糖やミカンを勧めながら釣果を聞く。
 もう四十路半ばだろうか。それほど若くはないのに、自ら進んで仕事に熱意を傾けているその態度には頭が下がった。
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 ついでに「親子船」のことも思い出した。
 私がグレ釣りを始めた昭和23年頃、牟岐から大島へ渡る船は、まだ小さな漁船でしかなかった。いわゆる電気着火船とかいうヤツだが、へさきには一本の棒とてなく、磯際までくると、エンジンを止め、櫓(ろ)漕ぎに切り替える。そして船を磯に横付けにするのだ。だからへさきに助手が一人いて、鞘張(さやはり)で磯を引っかけ、押したり引いたりするのだが、この役を梶子(かじこ)といい、大抵は親子で共同作業をするのが常だった。

 当然、二人の呼吸はピタリとあっていないと駄目なわけだが、そこは親子のこと、梶子が遠慮会釈なく、「押せ、押せ。」「控え、控え」とダミ声を上げたら、漕ぎ手は「ホラ、ホラ、ホラ。はようせんかい」とドラ声で怒鳴り返す。
 横から聞いていたらまるでケンカ以外の何ものでもない。だが、これは客の安全を願う熱意のしからしめるところだろう。

 その証拠に、陸(おか)へ上がったらさぞや宣告のケンカの続きが演じられるだろうと期待?している私たちを尻目に、親子はジャレ合うように冗談を飛ばしながら家路についているのだ。
 骨肉相争うのは醜いものだが、同じ仕事を助け合いながらしているさまは実にさわやかなものだ。
                                       (報知APG:高橋康生)