報知新聞・魚心/昭和58年5月28日

釣り狂い 昔父親 今は妻

 
NHKの朝のテレビドラマ「おしん」が50%近い視聴率だという。この種の番組としては、最高の数字だとか。それも、特に50歳以上の層に受けているらしい。

 なぜだろうか。おそらく、その年頃の日本人の多くが、おしんの耐えている「貧乏」を同じように体験し、そのみめさと、今の豊かな生活との落差をシミジミと噛みしめているからではなかろうか。

 私とて例外ではなかった。徳島市で、小さい釣具店を営んでいた父は、商売こそ上手かったが、いわゆる「七儲けの八使い」という部類。金もないのに道楽が多く、特に酒と釣りがひどかった。
 「商売、商売」と称して、おおっぴらに釣りに出かけたあと、母はいつも一人で家事と商売に体を休める暇もなかった。
 小学校6年のときだったか、子供心に私は父の釣りのひどさ加減が気になった。なにしろ、シーズン中は三日にあげず牟岐大島へ出かけたものだ。一度でもよい、釣りに行くのを止めてくれさえすれば、当時私が欲しくて欲しくてたまらなかったドッジボールが買えるではないか。
 ある日、その旨母に告げた。当然同調してくれる物と予期していたにもかかわらず、母の態度は厳しかった。
 「父ちゃんは商売やで」
 態度とは反対に、その時の母の悲しげな顔と声とがいまだに忘れられない。

 父の釣りへの傾注度はケタはずれだった。釣りのためなら、家族の思惑などは二の次。ある時などは、最終の汽車に乗るべく、夕方あたふたと出発の準備をしていた。あいにく三歳くだいだった下の妹が火がついたように泣き始めた。あやしておいて出かけるならともかく、父が妹に与えたものは「うるさいやないか」という怒声とゲンコツだった。

 「釣りとは、家族を不幸せにする元凶」といった定義や、「自分の妻にだけは、こんな思いはさせたくない」と言った決心が私の胸の奥深くに巣くったのは、こんな出来事が重なったためだ。
 「おしん」を見ていて、遠い昔のそんな出来事が走馬燈のように脳裏を横切って行った。

 あれから40年。私は家族を不幸にするほど釣りには傾注しなかった。しかし、世の中は皮肉に出来ているではないか。結婚して何年か経ったある日、ちょっと手ほどきのつもりで釣りを教えた家内が、だんだん釣りに夢中になり、今や手に負えぬ”重症患者”になってしまったのだ。
 
 暑かろうが、寒かろうが、忙しかろうが、暇だろうが、最低週一度のペースを崩さない。その言い訳はいつも決まっている。
 「病気で寝込んでしまう奥さんよりはマシやと思うて、、、」
 父の代に、母が受けた釣り被害は、今や私が受けているわけだ。結局、人生とは「輪廻(りんね)」そのものだろうか。
                                     (報知APG・高橋 康生)

筆者から一言:
 この原稿から、24年経ちましたが、状況は全く変わっていません。今でも家内は週一のペース。私は、その半分そこそこです。でも私も私なりに好きなことをやっていますので、文句を言う筋合いではありません。