報知新聞・魚心/昭和58年4月16日
南風さんを偲ぶ:古き良き時代の阿波・釣り師
徳島つろう会の最長老だった富山哲さんが3月末に亡くなられた。富山さん、というよりも「南風さん」と言った方がよく知られていた。これは屋号でもあり、雅号でもあり、通称でもあったからだ。
南風さんの釣歴は古い。もちろん戦争中のことだ。そのころ喫茶店(カフェーと言っていた)を営んでいたが、屋号は「ルンバ」というハイカラなものだった。英語(敵姓語)排斥の流れの中で、「ルンバ」は「南風」に変わった。
そして戦後。猫も杓子もアメリカかぶれをしている中で、南風さんは「南風」の屋号を絶対に変えなかった。
そんな頑固な面があるかと思えば、決断力も早い。父を早くに亡くしていた私は、近所でもあった関係で、南風さんを親代わりのように思い、南風さんも何くれとなく面倒を見てくれていた。そんなある日、私は高松でうまいステーキを食べた。そのことを南風さんに話した。
「そんなにうまかったか?」
「うん。ニンニクをよく効かせて焼いたヤツを、辛子醤油を付けて食べるのや」
「よし。ほな、食べに行こ」
早速、100`の道のりを、ステーキだけのために出かけた。食べた。決断した。神戸の本店に三ヶ月間見習いに入った。コーヒー専門の南風喫茶店が、現在の「ステーキ南風」に衣替えするのに半年とかからなかった。
釣り界での南風さんの功績は、徳島県釣連盟の編集部長として活躍した昭和30年から35年の間に刻まれた。昭和22年に産声を上げた同連盟は、機関誌「阿波のつり」を年一回発行していたものの、内容はクラブ間の連絡事項に過ぎなかったし、年一回の発行でさえ途絶えがちだった。
そんなとき、寡黙で控え気味だが、持ち前の実行力と決断力でコツコツと仕事をやり遂げるタイプの南風さんは、うってつけの編集部長だった。
「阿波のつり」のイメージは一変した。表紙の写真だけを取ってみても、そこには釣り人の詩があり、物語が感じられた。そして内容も、徳島の伝統あるグレ釣りや、チヌ釣りに焦点を当てて、これをクローズアップしているかと思えば、徳島にない新しいつりの紹介にも苦心された跡が伺えた。以後、同誌の編集は現在に至るまでスムーズに続いている。
晩年、南風さんは健康を損なわれた。長い闘病生活に明け暮れたが、持ち前の我慢強さで耐えておられた様子だった。南風さんを心配して、釣り友、後輩たちは代わる代わる四季の魚を南風さんの食卓に届けた。釣りも好きだが、食べるのにも目がなかったからだ。
毎夏、つろう会で行っているアユの「食い川」(川辺のバーベキュー)では、太いマユの間にシワを寄せ、汗を流しながら、黙々と自慢のアユフライを作ってくれていたが、4年前の夏、床に就かれてからそれが食べられなくなった。
まだ72歳。もっともっと私たちに有益な助言と忠告を与え続けてもらいたかったのに、、。
(報知APG・高橋 康生)
筆者から一言:
今から見れば「72歳の他界は若い方」ですが、終戦直後の平均年齢は50歳ほど。私の父などは49歳で亡くなりました。それに較べて、76歳の私などは、随分長生きしたものです。しかも、魚が釣れた時代、革新的な釣具が完成された時代でしたから、随分幸せな釣り人生だったと誇りにしています。ことのついでに、「何歳まで磯に上がれるか、何歳までアユが釣れるか?」に挑戦してみたいと思っています。