報知新聞釣り欄「魚心」から:昭和57年10月16日 

はっきりしたい磯上がりのルール
 
 その日、午前6時に徳島県中林漁港へ集まった釣り人の数は十五、六人だった。この釣り場では、磯上がりの抽選がない。船頭が磯に船を着けると、何となく釣り人が次々と上がって行く。別にトラブルもなく、ケンカも起こらないから、不思議と言えば不思議であった。

 船がワラベ石から燕バエを経て、雀岩に向かったとき、船の中には半数の人が残っていた。結構十分な釣り場が残っていた。そろそろ私も上がろうと思って、家内と二人で準備した。チョッポリまで来たとき、だれも希望がなかったので、上がろうとしたら、三十五、六の男が声をかけてきた。

 「ここはなんちゅう磯や」 私は「チョッポリや」と応えた瞬間、男の形相が見る間に変わった。
 「そらあかんデ。わしらはチョッポリへ上がろう思うて、朝の4時から来とるんや。そんなわけにはいかへんデ」
 もうケンカ腰だ。私としては別にどうでもいいことだから、「そんならどうぞ」と譲っておいた。

 私たち夫婦は近くの別の磯でサオを出したが、どうもこの日のチヌの食いは悪かった。磯を変わってみたが、やはりダメ。魚が釣れないと、人間いろいろな事を思いめぐらすものだ。私も、朝の事を思い出してだんだん腹が立ってきた。

 あの時、エエカッコして譲ってしまったが、ひと言ぐらいは言うべきだったのではなかろうか。第一この釣り場で、早く港に来た者に優先権があるなどとというルールは全くないではないか。例えあったとしても、午前4時に来たなどという証拠がどこのあるのか。それに、なにもケンカ腰にならなくてもいいだろう。(この日、この人たちは結局、なんにも釣らないで正午前に帰ってしまったそうだ。)

 結局、私は何も言わなかったわけだが、後日その話をしていたら、同じような事が最近、日和佐の磯でもあったそうだ。このときは、同行者が「許さん」といきまき、港に上がったあと大乱闘になったとか。

 徳島の牟岐や、福村のように、はっきりしたルールや抽選があるところは問題ない。しかし、ルールがないところでは、トラブルやケンカになりかねない要素は存外多いのではなかろうか。ピアノの音や、戸締まりの音がウルサイと言って人を殺す物騒な世の中。よく似たことが磯の上で起こらないとは限らない。

 渡船業者もこの種の事に知らぬ顔の半兵衛を決め込まず、スマートで納得のいくルールを決めるべきだ。結局、それはその釣り場の繁栄につながると思うのだが、、、。

                                                                 
   (報知APG・高橋 康生)


筆者からひとこと
:他のスポーツや競技と違って、釣りの場合は、常に腕の差が歴然と現れるものとは限りません。 運がその日の釣果に大きく関わってきます。その運の中に、「釣り場の良し悪し」が大きい要素として存在している限り、この種のトラブルは絶えないようです。その割には、はっきりしたルールで運営されている釣り場が少ないのも事実。でも、ケンカをしてしまったら、その日一日、気分が悪いもの。なるべく円満に、円満に。