報知新聞釣り欄「魚心」から:昭和55年2月17日 二昔前の阿波のグレ釣り(3)

大型だったグレたち

 
 二昔前といえば、阿波のグレ釣りのメッカである牟岐大島には、「古き良き時代」の面影が充分残っていた。 
 マキエサは生きエビ、サオは五三竹(ゴサンチク)の三本継ぎ、リールは大半が木ゴマ、ハリスは銀鱗(本テグスのほかはこれしかなかった)と相場が決まっていた。そのサイズも、早朝は5号、昼間は4号、食いの悪いときは3号を使った。今から考えると随分太いものだが、それでも当時は苦もなくムシリ取って行くような大物がウヨウヨしていた。
 グレは「匁」で表された。300匁(約1`)あればまず合格、400匁なら「ええ型やなあ」と褒められた。500匁なら魚拓に取っても恥ずかしくなかった。それ以下のグレはいなかったようだし、かりに釣れても、人の目に触れないうちに再放流していたものだ。
 とはいえ、ウヨウヨいるといっても、そんなに何十尾も釣れていたとは限らない。なにしろ、グレが大物である上、サオ、リール、ハリスが今ほど強くなかった。いくら「グレの早取り」が阿波釣法の極意とはいえ、今のように30aそこそこののグレを釣るようなわけにはいかない。一尾一尾を味わいながら釣るわけだ。だから、一日に10尾も釣れたらまずまず、20尾も釣れたら上の部だった。30尾、40尾と釣れるようになったのは、アミエビを使い始めて以後のことだ。櫂投島(かいなげしま)にある「タカハシバエ」は、私の父がたくさん釣ったというので、当時の船頭さんが命名してくれたのだが、それでも一日わずか13尾だったという。ただし、三回続けて上がって、奇しくも三回とも13尾だったという話が残っている。
 このころ、まだ30歳に手が届かぬ私は、同じ年頃の釣友と「グレの早取り」競争に余念がなかった。あえて平バエのようなシモリイソの多いポイントへ上がったり、木ゴマのハンドルを全部外してしまって「タタキ巻き」の練習をしてみたり、ウキを外して、脈釣りに徹してみたり。そんなこんなが図に当たって、好漁も多かったが、失敗も多かった。

 「一番」では、初心者にグレの釣り方を教えていたとき、セオリー通りにウキが引いて、サオが満月のように曲がったまではよかったが、アッという間もなく、見事にハリスをブチ切られてしまった。
 「センコウテイ」では、別の初心者が何度かけても切ってしまうのに業を煮やして、「貸してみなはれ」とサオをもぎとった。その瞬間、皮肉にもハリが外れてサオはピンと跳ね上がってしまった。
 だが、こんな失敗も、グレが大きかったからこそで、今となっては、恥ずかしいというより、かえって懐かしい思い出として残っている。それにつけても残念なのは、「あの時代に、今の腕と、すばらしい釣具の数々があればなあ」ということだ。
(この項つづく)     (報知APG・高橋 康生)

筆者からひとこと: 木ゴマのタタキ巻きというのは、ハンドルがないので、ミチイトを巻くことができません。そこで、サオを立ててグレを寄せる。サオが立ち切ったら、思い切りサオを倒すのです。間髪を入れず、木ゴマのフチを叩いて糸フケを取る。(ハンドルで巻くのと比べますと、これは格段に早い) 巻いたところで、木ゴマを抑えたまま、サオを立てる。倒す。叩く。これを何度か繰りかしますと、予想外に早く、グレは水面に浮いて来ます。それを素早く受け玉ですくう。(もちろん自分で) これこそが阿波釣法の一つ。グレの早取りなのです。今でいうポンピング釣法ですが、木ゴマのタタキ巻きの速さは、スピニングリールで巻く速さなどの比ではありません。