報知新聞釣り欄「魚心」から:昭和55年3月23日 二昔前の阿波のグレ釣り(8)

残したい、広げたいその良さ

 

 
20年ぶりに、再びグレ釣りを始めた今様浦島太郎のSさんと話し込んでいるうちに、いろいろと昔のことを思い出して長々と記してきた。かなりの変遷もあったが、その正しい評価は今後の歴史が物語ってくれることと思う。

 釣り具の進歩についても、ほとんどのメーカーがやっと四国の一角、徳島でのグレ釣りの優位性を認め始め、サオにせよ、リールにせよ、ウキにせよ、充分意見を採用してくれるようになった。
 釣り技についても、東西交流大会で行われた結果、急速に「阿波釣法」が全国的な脚光を浴び、話題に上がるようになった。私のところへも多くの照会が舞い込んでいるが、北は山形県から、南は沖縄県まで、ほとんど各県に熱心なファンがいることが判った。そして、返事を差し上げた大部分の方から、阿波釣法の合理性と優秀性を手放しで褒めて頂いている。中には、写真まで貼付して、阿波釣法を採用する依然と以後の相違を強調された人もあった。別に誇張でも宣伝でもないが、その進化は、今後に花咲くことと確信している。

 なお、補足させて頂くと、阿波のグレ釣りの誇りとする一面には、徹底した安全策があった。このことは、先々週でも触れておいたが、これは釣技とともに、昔も今も変わらずに生き続けている。そういう姿勢の一環として、牟岐大島では、昔から今にいたるまで、ポイントの奪い合いを避けるという建前から、「抽選制」を採用してきた。全釣り場を19の区域に分け、朝の一定の時間に集まった船で公平に抽選する方法だ。これは、「牟岐方式」なる言葉も生み出した。そのうえ、牟岐の船頭衆は絶対にピストン輸送をしない。かりに早じまいの人がいるときでも、別の船頭にあとの客を託して帰港する。お互い仲も良く、連携プレーが行き届いているのも見事だ。まだある。イソに打ち込んである鉄棒の本数も、おそらく日本一だろう。

 それだけ事故に対する恐怖感は強い。かって、愛媛県西海のノコギリで犠牲者が出た。ところが翌日、早くも、そのポイントで釣り人がサオを振っていた。同じノコギリでも、牟岐津島にあるノコギリで15,6年前事故があったときは、以後一ヶ月間、釣り客が敬遠したものだ。戦争中、事故があった牟岐大島のゴマなどは、一級イソでありながら、以後10年あまり釣り人を上げなかった。

 阿波釣法の心と姿は、今後「阿波踊り」や「スダチ」とともに、阿波の三大名物として広く親しまれ、長く残ることを信じてやまない。
(この項終わり)    
 (報知APG・高橋 康生)