報知新聞釣り欄「魚心」から:昭和57年9月11 

ムダにするな、アイやんの死
 
 徳島市内を流れる新町川(吉野川分流)の川口には、古くから沖の洲(北岸)と、津田(南岸)の二つの長い突堤があった。これが市民にとって格好のチヌ釣り場となっていた。夏から秋のシーズンには、釣り天狗たちはズラリと竿の放列を敷いたものだ。二つの突堤のツケ根のところには、それぞれ自転車預かり屋さんが住んでいた。むかし、釣り人の足と言えば、100%自転車だったからだ。

 30年以上にもなるだろうか。随分前のことで、フルネームは忘れてしまったが、沖の洲側のおじさんは「アイやん」と言う呼び名で親しまれていた。年のころなら60才を越したくらいだっただろうか。
 アイやんは、自転車の番だけではなく、何くれと釣り人たちの面倒を見てくれた。「今日は冷え込むケン、コッチン(小チヌ)が回ットンデヨ。ウキ下は浅うしてナ。エサなあんまり撒かれんでヨ」とか、「マゼ(南東の風)が吹き出したら、海は静かでもすぐ終いないヨ。キョロキョロしよったらすぐに波が出てくるでヨ」とか、「あ〜あ〜。パンクしたんかいな。ホナ釣りしよんない。直しといたげるケン」とか。つまり、アイやんは、天気や釣り方のアドバイズから、釣り人の身の世話まで一手に引き受けていたのである。
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 その日。午前中の海は、まだ荒れていなかった。だが、泣きやら怪しい雲行きだったので、アイやんは、釣りに出ることを止めるように進めていた。だが、I さんは、友だちに「よく釣れる」と自慢していた手前、アイやんの忠告に従わず、強引に出てしまったのだ。
 案の定、午後から波が出始めた。波は突堤の上をわが物顔に走り始めた。潮位も高い。もう I さんが帰って区Kるのは無理だ。突堤の長さは約1.5`。幸い先端には灯台があり、それを囲むように高さ1bほどの防波壁もある。I さんは、多分そこに身をひそめているのだろう。

 夕方近くになった。潮位はやや低くなった。波も幾分おさまったようだ。だが、I さんは帰らないし、姿も見えない。
 アイやんは気が気でなかった。そして、薄暮に包まれかけた中を、心配してやってきた I さんの家族と二人で I さんを探しに出かけた。アイやんを心配して、娘さん(当時17才)もそっと後を追った。
 先端までは、歩いて20分はかかる。何度も足を洗われながらやっとの思いで灯台に近づいた。あと2,30bというその直前、大きな一つ波が3人を襲った。いったん海へ投げ出されたものの、家族と娘さんは奇跡的に助かった。だが、アイやんは、そのまま帰らなかった。I さんはと言えば、すでに早くから波にさらわれてしまっていたのだ。
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 台風シーズンが来るたびに、私はこの痛ましい出来事を思い出す。そして、アイやんの死がムダにならぬよう、多くの釣り人にこの話を聞いてもらっている。それが、アイやんの冥福をいのる最大の方法でもあると信じているからだ。

                                                                
          (報知APG・高橋 康生)

筆者からひとこと
 平成19年から遡れば、かれこれ55,6年前の話になります。当然、救命具などは誰も着用していませんでした。もしこのとき、救命具があれば、アイやんも、I さんも助かっていたと思います。それにしても、命あっての物種。無理な釣りだけは慎んで下さい。