報知新聞釣り欄「魚心」から:昭和55年9月28日 

モーパッサンの短編「二人の友」A 戦争は釣り場も修羅場に

 

  
二人は捕らえられ、スパイ容疑に問われる。もちろん身に覚えのないこと、二人は何も言うことがない。やがて二人は射殺される羽目になる。涙が出てきて仕方がない。震えが止まらない。
 「ソヴァージュさん。さようなら」
 「モリソーさん。さよなら」
 どちらからともなく、二人は口ごもりながら最後の挨拶をした。こんな二人に、士官は無情にも「撃て!」と叫ぶ。

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 あらすじはこんなところだが、くだんのメーカーのPR誌に要約されていたものとの違いがお判りいただけただろうか。

 第一にこの二人、爆音の中を毎日でかけているのではない。戦争が起こってからというものは、もう長い間、好きな釣りから遠ざかっていたのだ。平和を愛する市民のささやかな楽しみを奪ったもの、それは戦争なのだ。釣りをしながら二人が話し合う下りを引用してみよう。

 「モリソーさんは、ウキの羽根が動いているのを気がかりそうに眺めていたが、急に腹が立ってきた。こんなに戦争し合っているあの狂人どもに対する、穏和な人間の怒りだった。彼はつぶやいた。『こんな殺し合いするなんて、実に馬鹿げているじゃありませんか。』ソヴァージュさんも答えていった。『けだもの以上ですよ』」

 前線の危険な場所へ出かけた二人が悪いのではなく、かっては絶好のポイントだった場所を戦場にしてしまった「戦争」が悪いのだ。

 それともう一つ。二人は数釣りに精出したわけでもない。次の文章を味わいながら読んでいただきたい。

 「釣った魚は、足もとの水につけてある、ごく細かい網のビクへ手際よく入れる。すると、ぞっとするような嬉しさが全身に染みわたるのだった。それは長い間禁じられていた道楽にありついたとき、誰もが覚えのある嬉しさだった。暖かい太陽が、そのぬくもりを二人の肩の間に流し込んでいた。彼らは、もう何も聞こうとはしなかった。何にも考えようともしなかった。世間の事なんか忘れかけていた。ただ釣っていた。」

 それにしても、モーパッサンは釣り好きだったのだろうか。三十数年ぶりに読み直してみて、以前には全く感じなかった釣りの描写が特に印象に残った。
 世界文学の中で釣りをテーマにしたものは数少ない。その貴重な存在の作品のイメージがゆがめられて紹介されていたのを見て、つい義憤を感じてしまった。引用させて頂いたのは、新潮社刊、モーパッサン短編集(3)(青柳瑞穂氏訳)。ぜひ、ご一読されることをお薦めしたい。  
    (報知APG・高橋 康生)
 

筆者から一言: 太平洋戦争中、日本でもこんな事はままあった。牟岐大島の磯で竿を出していて、グラマン艦載機に機銃掃射を浴びた人は珍しくなかった。やっと日本は、そんな悲惨な雰囲気から解放されたものの、今も世界の各地では紛争が絶えない。ソヴァージュさん、モリソンさん。世界の釣り人たちが、あなたのような悲しい運命を辿らないように守ってやってください。