報知新聞釣り欄「魚心」から:昭和55年9月21日
モーパッサンの短編「二人の友」@ 俗っぽい扱いに義憤
過日、ある釣具メーカーのPR誌にこんな記事があった。
「数釣りだけが釣りじゃない」というテーマで短く散文風にあしらってあるのだが、その終わりの方にモーパッサンの短編「二人の友」からの引用ーと称してこう締めくくってあった。
気の合った二人の釣り好きが、戦争さなかだというのに釣りに出かける。そのうちもっと釣れる場所が欲しくなる。そこは敵陣の中だ。それでも、いとも気軽に出かけてしまう。見境がない。むちゃくちゃだ。案の定、捕まる。はては、両手を後ろに縛られて海へどぼん。敵兵の一人がこうつぶやいた。
「あとは魚どもにまかせよう」
× × ×
ここで、私の頭は、三十数年前の記憶をまさぐり始めた。その「二人の友」という短編は確かに読んだ覚えがあった。だが、どこかが違っている。なるほど筋書きはその通りだが、経過がちがう。状況描写も、心理描写も、どこかが違っている。
仕事もそこそこに、私は片っ端から本屋に電話した。やっと、三軒目にあった。
「モーパッサン短編集」ー「二人の友」は、その冒頭にあった。食い入るように一気に読んでしまったら、私の胸は一服の清涼剤を飲んだあとのようにスッキリした。やっぱり私の記憶が正しかったのだ。
この珠玉のような内容の小説を、どうして全く俗っぽいパターンに当てはめてしまったのか。私は小さな義憤さえ感じるのを抑えることが出来なかった。
ここに登場する「二人の友」は大の釣り好きだ。一人は時計屋のモリソーさん。もう一人は小間物屋のソバージュさん。日曜ごとに決まってパリ郊外のマラント島まで釣りに行き、そこで知り合った二人。だが、パリはプロシャに囲まれ飢餓に瀕していた。
そんなある日、二人はふと、パリの場末の大通りでばったり出会う。
久しく釣りからはご無沙汰だ。二、三軒の飲み屋でアブサンを傾けながら釣り談義に花を咲かせたあと、すっかりいい気分になった彼らに、ふと魔が差した。
マラント島近くにフランス軍の前線が出ており、そこの大佐を知っているから、通行許可証は貰えるよーというソバージュさんの提案で、二人は一も二もなく釣り場へ向かう。
プロシャ兵に対する恐怖の念は去らなかったが、釣りの誘惑は大きかった。久しぶりだったし、釣り人も二人きりとあって、この日はのっけから入れ食いだ。ところが、無我の境に入って釣りまくっていたら、後ろにプロシャ兵がこちらに銃を向けていたのである。 (報知APG・高橋 康生)