報知新聞釣り欄「魚心」から:昭和55年5月11日 

イソの上ではむずかしい ”二人のハーモニー”

 

 
朝のテレビドラマ「なっちゃんの写真館」でこんなシーンがあった。
 思春期を迎えたなっちゃんの父、賢輔に再婚話が持ち上がる。賛成とも、反対ともつかぬ複雑な気持ちのなっちゃん。娘の手前、思いあぐねて逡巡する父。 そんなある夜、父は広い応接間で一人チェロを弾いていた。曲はバッハのG線上のアリアだ。自分の心をそのまま音楽に託する一人の男。
 ーと、いつしかなっちゃんが部屋に入ってくる。しばらく父の演奏を聴いていて、やがておもいきったようにピアノの前にすわる。
 そして伴奏。ーそれを背中で気づいて、救われたような表情の父親。二人のデュエットは、やさしく、美しく続けられる。ーそれはまさに、心と心の触れ合った一瞬であり、無言の了解でもあった。
 合奏とは、異なった音色や音階で、同じ曲想を表すもの。そこには、一つの目的に向かって重なり合う複数の「心」がある。そしてピッタリ呼吸が合えば、すばらしいハーモニーが聴く人の心を打つ。
 私がちょっと残念に思ったのは、このような感動的な場面が、釣りの世界においては非常に少ないということだ。それは、釣りという行為自体がワンマンプレーであるから無理もないことだが、、、。
 同じポイントで二人が釣れば、明らかに利害は相反する。一人が釣れたら、後の一人は釣りづらい。二人とも積極的に釣ろうと思えば、心の中で火花が散る。
 さて、過日私は、イソ釣りに入門したばかりのK君と並んで竿を出した。と、ビギナーズ・ラックと言おうか、初一発がK君の竿にヒットした。
 「高橋さん。来ました、来ました。どないしましょか。」 かなりの大物のようだ。K君はサオを立てるすべも知らず、リールを巻くことも出来ない。隣で大声を出してアドバイスする私の声も耳に入らないようだ。
 テレビを見てからというもの、いささか感傷気味になっていた私は、思わずK君のサオをひったくってしまった。ここでK君の手助けをして魚を取り込んでやれば「感動的な場面」が繰り広げられることになるからだ。ところが、かっこよくデモンストレーションをしていた次の瞬間、サオ先はフィに軽くなってしまった。(つまりハリス切れという最悪の場面が展開されてしまったのだ。)
 しょせん、現実とは、ドラマのように筋書き通りにはことが運ばないものなのだ。
         (報知APG・高橋 康生)