報知新聞釣り欄「魚心」から:昭和57年3月27 

ホリディ・イン・マウイ (3)

 3月のハワイの涼しさは予想外だった。日本の5月ごろの気候だろうか。
 ミスター・マスサコに教えられた場所は、水深もまずまずだったが潮が全く動かない。前日の突堤はすばらしい潮通しだったのに、ここはまるで池のようなポイントだった。案の定、エサはいつまでもついたまま。磯際を探っても、遠投しても、結果は同じだった。
 退屈のあまり、あくびが出始めた。熱心さではひけを取らぬ妻が、磯の上で昼寝を始める始末。

 突然、ミスター・マスサコが「ヤッホー」とすっとん狂な声を上げた。
 フト見ると、曲がった竿の30bほど先で、白いしぶきが上がっている。おっとり刀でカメラを持って走って行った時には、彼はすでに肩を落としてガッカリしていた。
 「どうしたの」と私。
 「イツ・ゴーン(ばらしたよ)。大きいサヨリだった。」
 「へーえ。どのくらいあったの」
 「アバ・ワン・ミーター(1bほどさ)」
 洋の東西を問わず、釣り人の話は若干大きく出来ているようだ。

 やがて昼が来た。私たちは、もう竿納めがしたかったが、タクシーの予約を3時にしている。腹も減ったので、スーパーで買ったパンをかじっていたら、ガルシヤ君が近づいて来た。手にはアイスクリームを二つ。
 「オジサンがタベナサイッて」
 こいつはうまかった。何しろ腹がへっている。魚が釣れなかったので退屈もしている。そこへ、思いもかけぬ差し入れだ。

 ミスター・マスサコの方を向いて手を振った。彼もこれから弁当を広げるところだった。
 私たちの目の前には、広い水平線がある。その一部にラナイ島がきれいな裾野を広げている。山の頂は雲に覆われたままだ。ときどきのんびりしたスピードで帆船が走る。
 海岸沿いに道があり、車がひっきりなしに通っているが、その後方には雄大な山がそびえる。山肌は、草木というよりは草原といった方が適切だろうか。とにかく、目の届く限り、緑また緑の広がりでしかない。空気はさわやかで、日向でも汗を知らない。

 そんな結構な雰囲気の中で、相変わらず竿を振り込んでみたが、結局、何も釣れずじまいだった。ミスター・マスサコも同じこと。それでも釣りは止めない。午後3時。タクシーが私たちを迎えに来たときも、彼は木陰にねそべって、目だけで竿先を追っていた。
 「まだやるの?」と聞いたら、「夕方まではね」。至極当然といった表情。いつ釣れるとも知れないパピオを夢見て、かれはただのんびりと海岸に寝そべっているのだ。

 そんなペースに巻き込まれて、私たち夫婦も、「ハワイまで来てボウズだった」という悔いは全くなく、さわやかな思いでホテルに向かうことが出来た。      =おわり=              (報知APG・高橋 康生)


筆者からひとこと: 昭和57年のこのハワイ旅行以後、私たち夫婦は、ニュージーランドで前後9回、釣りツアーを楽しみました。鯛、ヒラマサ、シマアジ、ハプカなどの大物釣りを堪能しましたが、実感として、やっぱり「魚との知恵比べ」的な釣りを楽しむには、日本が最高だという結論に達しています。