報知新聞釣り欄「魚心」から:昭和56年5月16 

ヒゲさんを悼む
(冷凍エビ時代の開発者)

 4月の終わり、徳島釣界の名物男が一人、この世を去った。岩崎筆一さんがその人である。
 岩崎さんは「ヒゲさん」の愛称で親しまれていた。文字通り、ホオからアゴにかけて見事なヒゲが蓄えられていたからだ。これだけなら世の中にはゴマントいるのだが、ヒゲさんは、下だけではなく、上の髪も伸ばしており、その端を束ねて「チョンマゲ」を結っていた。一風変わってはいたが、仕事熱心で性格は直截(ちょくせつ)。ヒゲのため、一見むさい感じだが、その中でやさしく澄んでいる目が印象的であった。86才でこの世を去るまでには、いろいろの人生経験を積まれたようだが、何と言っても彼の最大の功績は、今日の「冷凍エビ時代」の基礎を開発したことである。

 昭和30年代の初め、徳島県下のイソ釣りエサは極端に払底していた。大正時代の初めから始まった「阿波釣法」は、ずっと生きたモエビや、シラサを使っていたのだが、昭和20年代の中頃から使い始めた農薬の影響で、用水や池にいたこれらのエサがほとんど取れなくなってしまったからだ。
 そこでヒゲさんが目を付けたのが広大な琵琶湖だった。当時、ヒゲさんは、香川県や岡山県まで足を伸ばしてシラサエビを捕り、それを汽車で持ち帰って奥さんが営む「釣りエサ専門店」で販売していた。しかし、交通も不便、冷蔵装置もない時代のこととて、ヒゲさんが琵琶湖から持ち帰ったシラサは、大部分が死んでしまった。

 当時、グレ釣りのシーズンといえば、11月から1月の3ヶ月。つまり、ヒゲさんがエビかごを背負って琵琶湖通いをしていた時期は、一年中で最も寒い時期だった。もちろん、汽車の中は暖房をしている。だから、そんな中へエビを持ち込めない。寒くてもエビはデッキへ置き、そのそばでヒゲさんはエビを見張った。
 ーーそれでも、琵琶湖〜徳島間の距離は余りにも遠すぎた。膨大な損害に耐えかねて、ある日、ヒゲさんは一計をめぐらした。このエビを冷凍してみたのである。死んだエビを冷凍しても変色して腐敗するが、生きているうちに冷凍したら、いつまでも変色変質しないことがわかった。

 ーー後は、そのエビでグレやチヌが釣れるかどうかがわかればよい。
 自分が大の釣り好きだったヒゲさんは、冷凍エビを持って、牟岐や日和佐へ出かけた。客や友人にも、この効果についての研究を依頼した。これが見事に成功。かくてヒゲさんの努力は日の目を見たのである。

 琵琶湖産の冷凍エビ以来、その種類は桜エビー赤アミー白アミー沖アミと変わっては行ったが、今や「冷凍エビ」は、イソ釣りエサの主流となった。
 現在の冷凍エビ万能時代の陰には、釣りを愛し、」仕事を愛し、家族を愛したヒゲさんのたゆまぬ努力があったことを認識して頂きたく、敢えて筆を執った。
 晩年、病を得てはいたが、手広く事業を嗣いでくれている長男・英和さん夫婦のやさしい看護で、ヒゲさんは眠るように大往生を遂げた。
 心からご冥福をお祈りしたい。            (報知APG・高橋 康生)

筆者からひとこと
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