報知新聞釣り欄「魚心」から:昭和55年2月24日 二昔前の阿波のグレ釣り(4)
極道も釣りが最後
”極道”などという言葉は、最近あまり使わなくなった。試しに、そこらの漢和辞典を引いてみたが、どれにも載っていなかった。だが、実際、昔はよく「釣り師はみんな極道者よ」などと言われていた。
「極道」とは、つまり遊びの”道を極める”と言う意味で、女、酒、賭博などを卒業した人達が行き着くところが「釣り」だとされていたようだ。
その昔、父の話によれば、今、牟岐の大島、津島にその名前が付けられている名人達の中には徹底した極道者が多かったと言う。(実は父も、二つの高橋バエがあるのだが、、。)
こんな人達には、日曜日も平日もない。通いだしたら、何日でも釣り場で居続けるのだ。これを「ムシ」と言った。
「よう釣れるケン、ムシをしたら、あくる日は全然あかなんだワ」とか、「ムシを三日もしたら、しんどうで仕事にならんワ」とかいった具合に使われる。
仮に、ムシでなくても、汽車を利用するためには前夜から釣り場に繰り込まなくてはならない。昭和30年以前は、夕方の帰る汽車がなくて、翌日も泊まり、翌々日の朝一番の汽車で帰ることもあった。それでいて、奥さん連中には、何も文句を言わさない。今様”亭主関白”ではなく、これぞマコトの関白ぶりを発揮していたものだ。私の父などは、朝帰りしたその夕方、またぞろ牟岐へ行くという芸当までやっていた。
この人達の釣り姿がまた、面白かった。Gさんは、グレを掛けると、「ソラ来た」とい大声でかけ声をかけておいて、右手でサオを操作する。左手は口にくわえていたキセルを持ち、サオをカンカンと叩いて灰を落とす。「ワイはこんなに落ち着いているんやデ」と言わんばかりだ。
Oさんは豪勢だ。イソに厚い座布団を敷かせる。自分はここへ座って悠然とサオをふるだけ。マキエをしたり、エサを付けたり、釣った魚を外すのはみんなお付きの人がやる。ゴルフのキャディみたいなものだ。
戦時中、これらの人達は、ときには「国賊」呼ばわりされたこともあった。大島で釣っていて、米グラマンの機銃掃射を浴びたこともあった。しかし彼等は、女より酒より賭博より面白いグレ釣りと、阿波グレ釣法を守り通した人たちでもあったのである。(この項、つづく)
(報知APG・高橋 康生)