報知新聞釣り欄「魚心」から:昭和54年10月14日 アイゴの哀号

 大正末期からはじまったという徳島県下のイソ釣りは、グレと、チヌと、アイゴ(当時はアイと言っていた)が主たる対象魚として人気を三分していたものだ。アイゴの釣り期は五、六月と、九、十月の年二回。釣り方もチヌ、グレと違った特徴があり、したがってサオから仕掛けにいたるまですべてアイゴ専用のものが使用された。そしてチヌの「繊細」、グレの「豪快」に対し、アイゴは「執拗」しかも、「数釣り」の醍醐味を味あわせてくれた。
 その昔、昭和十二,三年頃だと思うが、私の父は木岐の「チゴ」というイソでアイゴの大釣りをしたことがあった。クーラーなどの無かった時代だから、釣ったアイゴは綿糸で編んだスカリ(当時はイケスと言っていた)に放り込んでおく。これがまた、直径四十五a、長さ二bというたいそうな代物。イソから太いロープで吊しておくのだが、このときはアイゴを釣りすぎて、そのロープがプッツリ切れて、スカリはそのまま水中に没してしまった。このときのアイゴの数は、シブカミ級(徳島ではドコ級:30〜40a)で推定五〇尾は下らなかったという。父の失意、落胆ぶりは今でも脳裡にあざやかだ。
 終戦後でも、アイゴを専門に狙って、シブカミ級を二〇尾、三〇尾という釣果は珍しくなかった。ことほどさように、このアイゴという魚は、常に群をなしていたものである。

 ところが、それだけ多かったアイゴが、昭和四〇年代になってめっきり減ってしまった。一日に一〇尾も釣れば御の字、アイゴを専門に狙うことすら出来なくなってしまった。おまけに釣り期も変わってしまった。
 従って、グレ釣り、チヌ釣りと並んで、盛大に行われていたアイゴ釣り大会も、ここしばらくの間にすっかり姿を消してしまった。三十年の歴史を持つ徳島県釣連盟も、年に一度の「アイゴ釣り競技大会」の看板を、とうとう昨年から降ろしてしまい、「イソ釣り競技大会」と名称を変えた。
 アイゴ激減の原因はイソヤケ(アラメがイソに生えなくなった)にあると言われる。そのイソヤケが何故起こったか。ーーアミエビとか、洗剤とか言われるが、まだ定説はない。はっきりしているのは、信じられないくらい数が減ったことだけだ。
 「捨てる神あれば、拾う神あり」で、一方ではヒラマサだのハマチだのが回遊して人気を煽ってはいるが、果たして昔から馴染みの深いグレやチヌまでもが、アイゴと同じ運命を辿るのではないかなど思ってしまうのは、単なる危惧であって欲しいものだ。アイゴー、哀号。

  (報知APG・高橋 康生)

筆者からひとこと:ここ十年ほど前から、愛媛県中泊 のイソで大型アイゴが釣れだして人気が定着しつつあります。それでも、10尾を越す釣果はまずないでしょう。(そのかわり、ここのアイゴは抜群に旨く、腹身の刺身などは、トロに匹敵するほどです。)